「3つの密(密閉・密集・密接)をひかえよう!」の”三密”ではなく、”三密”という仏教の教えから、今回の新型コロナ感染拡大防止を契機に、どう普段の生活に生かすかを考えてみようと、4日間の連載でお伝えしております。今日は最終日。
「三密から学ぶ」Day4:意密(いみつ:こころ・考えについての教え)
今回も十善戒のなかの「意密行」の三項をひもといてみましょう。
※真言宗智山派総本山智積院HPより引用
・不慳貪(ふけんどん)欲深いことをしない
慳貪とは「むさぼり」のこと。
物質文明に生きる私たちは、私たちの生活を便利に、快適にしてくれるモノによって豊かさを享受しています。でも、その行きつく先はどのような社会なのでしょう? モノが溢れ、モノに執着し、そのモノ無しには生きていけない…。「お金さえあれば幸せに暮らせる」と多くの人が勘違いしている日本で、今何が求められているのでしょう…?
慳貪に対する仏さまの教えは「不慳貪=もの・ことに執着しない」。日々「惜しみなく施しをしよう」という気持ちで生活します。
・不瞋恚(ふしんに)耐え忍んで怒らない
瞋恚とは「怒り」のこと。
ムカツイたり、キレたり、暴力をふるったり…。でも、その怒りはどこからくるのでしょう? 悪いのは本当に相手だけなのでしょうか? この怒りとは、前述の慳貪にある「もの・ことに執着」に密接な関係があり、人はものやことに執着し思い通りにならないと怒りになって表れるものです。
瞋恚に対する仏さまの教えは「不瞋恚=怒らない」。日々「にこやかに暮らそう」と心がけて生活します。
・不邪見(ふじゃけん)まちがった考え方をしない
邪見とは「まちがったものの見方」のこと。
自分中心にしか物事を考えられない人は、常に自分は偉く正しいけれど、「周りの奴は馬鹿だ」と思っています。そして悪いことに、恨みは人一倍です。皆さんの周りにも1人や2人、こんな人がいませんか? というか…、ひょっとしたら、あなた自身がこんな人になっていませんか?
邪見に対する仏さまの教えは「不邪見=まちがった考え方をしない」。日々「正しく判断しよう」と心がけて生活します。
意密(いみつ)は、こころ・考えの教え、つまり昨日、一昨日の身密、口密の行動の根源になりますね。正しく行動する、正しく言葉を発するということは、こころが健全でなければなりません。これらから改めて以下のように考えてみます。(参拝者と神社お寺でつくるお参りの記録共有サイト「 ホトカミ」より引用)
○自分のこころの揺れ動きを観察する
○こころをありのままに見て、自分に気づく
○一歩立ち止まってこころを見つめる
○自分だけでなく他者に気配りをする
○今できる範囲で、自分がリラックスできること、こころが豊かになることをやってみる
○深呼吸をしてこころを落ち着かせる
・様々な情報をむさぼり、こころ惑わされない
悲しいニュースなどに心がざわつくこともあるかもしれませんが、
自分の心と向き合いながら、真心を込めた行動や発言を心がけたいですね。
いかがでしたでしょうか。
今回は、”三密”という仏教の教えから、どう普段の生活に生かすかを考えてみました。決して厳しい修行ではなく、一人一人の気持ち次第で、普段の暮らしに取り入れ、毎日をよりよく過ごして頂ければと存じます。そして新型コロナウイルスが早く終息するよう、皆さんと祈ることができれば幸いです。
合掌